母亡き後、父が失い そして取り戻したもの。 〜母と父 ふたつの“生きがい” 後編|父の場合
- ふなと愛

- 20 分前
- 読了時間: 7分
がらんどうになった実家のマンションのリビングで
わたしは大の字になって寝転んで空を見ていた。
南向きのリビングはいつも ぽかぽか明るくて
広い窓からはただ空の青だけが目に映った。
母が生きていた頃によく言っていた。
「こうやって ここに横になって
空を見てるだけで それだけで
幸せな気持ちになるんよね」

父が亡くなった後、
マンションを手放すことになり
わたしはあらゆるものを譲り渡していった。
団地時代から一緒に育ってきた
壁一面の大きな本棚と本たちも
一人ずつ人数が減ってもなお
最後まで「家族の時間」を支えてくえれた
ダイニングテーブルも
だんだん痩せ細っていく父が
その背中を最後まで預けていた座椅子も
空っぽになってしまった部屋には まだ
20数年をそこで過ごした家族の記憶が漂っていた。

2014年、母を亡くしてから父は
生きる気力をすっかり失っていた。
実際、母が倒れてから最期の日々を過ごした数日間、
なんとその同じ時期に父も倒れ、
同じ病院で手術し、入院し、母の亡骸と共に退院した。
手術後の数日間、父は錯乱し、
点滴を引っこ抜いて母の病室に乗り込んできて叫んだり
病院を脱走しようとしたり、
怒涛のような日々だった。
けれど そんな中にも神様はいた。
母が車椅子で一階上の父の病室にお見舞いに行き
点滴を打たれてぐったりしている父に
「あんた、何やってんの」と笑ったこと
もう モルヒネを打つことしか手立てがなくなって
起きている時は ただただ痛みに悶えていた母が
それでも 錯乱した父が乗り込んでくる時はいつも
すうすうと平和な顔をして眠っていて
苦しむ姿を 決して 父には見せなかったこと
そして
ほんとうの最期、母が息を引き取る数分前
真夜中、看護師さんに車椅子を押されてやってきた父が
母の枕元で 昨晩書いたというラブレターを読んだこと
(「三千穂さん、あなたと最初に出逢ったのは…」)
読み終えた後 そっと
母のおでこに キスをしたこと
その時 母の涙から ひとすじ
涙がこぼれて 落ちたこと

気が狂うような数日間だったが、
人生の どんな歓喜の時よりも
輝かしい瞬間を
父と母は たくさん見せてくれた。
その後
母の亡骸とともに車椅子で退院した父は
お葬式の喪主を務める気力もなく
すっかり小さくなって、
ただみるともなくTVを眺めるばかりになってしまった。
「お母さんがおらんと、生きてる意味もない」
そんなことを呟いている父は
「生きがい」を失っている人そのものだった。
そんな父が変わったのは、一冊の本がきっかけだった。
臨床医である著者・矢作直樹さんが、
数々の命の現場から
神の存在、魂の存在について思索する本。
わたし自身が受け入れられなかった母の死と
そして その臨終のきわの痛みと苦しみの意味を
この本を読んで、少し 理解できた気がして
父にも勧めてみたが
手に取ることもなく そっぽをむいていた。
が しばらくすると
父は 少しずつ頁をめくるようになり
ある日、こう言った。
「お母さんは死んだけど、
お父さんの記憶の中に お母さんはいる。
やから、自分が生きることで
記憶の中のお母さんを
生かすことはできるんやな」
びっくりした。
神も魂も全否定の昭和人間だった父が
まさかそんなことを言うなんて。
愛の力、かもしれない。
いずれにしても父は
父なりの生きがいを、
「生きる意味」を取り戻したのだった。

その日から 父は変わった。
「お父さん頑張るから、料理の仕方教えてくれ」
と 立ったことのない台所に立ち、
包丁を持つようになった。
わたしは驚きながらも
野菜の切り方や 味付けの基本を教え
カレーや煮物など簡単な料理のレシピを
大きな字でわかりやすく書いて残した。
わたしがカナダに帰ってからも
父は料理の腕を磨き
母が残したフリージアやハイビスカスの鉢に水をやり
(それは父が亡くなるまで毎年花を咲かせた)
母の日や誕生日やクリスマスには 欠かさず
母の分までケーキを買ってきて
母の写真と一緒に こたつで食べていた。

母が亡くなってから10年間、
父は そうやって
「記憶の中の母」と共に生きた。
その様子は
父が残した何十冊ものノートに書かれた
毎日数行の日記に記されていた。
今日食べたもの、いった場所、
そして、「三千穂さん、」で始まる
母への短いラブレター。
膵臓癌で余命宣告された父は
それなりにショックだっただろうけれど
「やっとお母さんのところに行ける」と
どこかで そう思っていたのだろうか
死を そこまで恐れることはなく
受け入れているようだった。
まだ元気だった頃
「お父さんが死んだら、おめかしして、
棺桶にお母さんへの花束と
朝日堂のみたらし入れといたろか」
と言うと
「それもええなあ。頼むわ」
とまんざらでもなく笑った父。
父を看取る過程もまた
母の時と同じように
気が狂うような日々だったが
たくさんの宝物をもらった。
意識が飛ぶ最後
真っ暗な病室で震える手を伸ばして
わたしの頬に触れ
「かんしょく」と言った父。
人は死なない。
魂は永遠。
だけど
触れられることのよろこびは
生きているこの体があってこそで
その「感触」を 父は
魂に還っても持ち帰りたかったのだろうか。

約束通り
一張羅のスーツを着せて
母への花束と、お団子と、
そして母がいつか買った帽子を抱かせて
棺桶の中に入った父を見て
わたしは
もう父にも会えない
あのリビングで
『男はつらいよ』など見ながら
くだらないことを話しながら
一緒にコンビニスイーツを食べた
なんてことのない
ふつうの時間
失ってから「宝物だった」と気づくような
そんな時間のすべてが
父が言ったように
わたしの記憶の中だけのものになってしまった
そのことの寂しさに 泣きに泣いた。
まあ実際には
涙に暮れる暇もないほど
怒涛のように「お片付け」に追われていたのだけれど
空っぽになっていく実家とは相反して
わたしの中で満ちていくもの
それは
母が残してくれた
「今ここを慈しみ味わうこと」
父が残してくれた
「愛する記憶と共に生きること」
そして
「感触」。
不自由で 不器用な
この肉体があるからこそ
味わえるすべてを
父と母のもとに還る
その瞬間まで
わたしは それを 生きよう。
たとえば
誰かが焼いてくれただし巻きの味
道路の隙間に揺れる花の色
他愛のないおしゃべり
苦しみの最中に突如刺す ひかり
そういう 何かを
いつかわたしも
見えなくなった目の代わりに
シワシワになった手を そっと伸ばして
愛しい誰かの頬に 触れる
その時まで
思う存分、味わおう。
疲れた体に 青空を染み込ませながら
そう思った。

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アメリカLA→カナダバンクーバー在住19年。 「すべての命が愛と才能を発揮・循環する世界」
=「お金のいらない国」を目指して
2024年7月、ビジネス→ギブネスにシフト。
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