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経営者になれば『働きがい』は高まるのか。そして『生きがい』は?

執筆者の写真: Kenji MatsukiKenji Matsuki

更新日:3月13日




こんにちは。

うっかり生きがい研究員の松木です。



前回のコラムに続き、生きがいと働きがいについて頑張って書いていきます。



なお、前回もお伝えしましたが、

私はこれまで生きがいについて真剣に考えたことがなく


・新規事業をやったことないけど新規事業開発部門の責任者に就任してしまった人


くらいのトンチンカンな発言をするものと、お考えいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。



目次





結論と前提




結論から述べますと、

私は、働きがいを高めるには経営者になるのが最適解だと感じています。



ただそれは、たまたま自分の性格や環境が


・自由を好む性格であること、

・先が見えないことにワクワクできること、

・家族が健康で安定した毎日を送ることができていること、

・サラリーマンという構造に不適合な自分を痛感した経験があること、


などなどを前提とした総合的な認識である、と感じております。



つまり、これから文字にすることは、

自分を正当化するポジショントークの展開になるかと思いますので、

あくまで「イチ個人のリアルな現在地」としてご認識ください。





サラリーマンとしての働きがい




私は、サラリーマンとして大変楽しく過ごした経験があります。


新卒で配属されたのは海外事業室・ハワイ島リゾート担当。

具体的な仕事内容はさておき、名前だけで楽しそうです。


その後は渋谷開発事業部で、渋谷の建物を開発し、街をブランディングしていました。


そのほかにも新規事業開発として、保育園を作ったり、新しい広告媒体を作ったりと、

実情はともかく、外から見ると楽しそうな仕事ばかりです。

実情は・・ともかく・・



それらを踏まえ、私にとって、大きな組織の中で働く楽しさとは、

自分一人では作りえないスケールの仕事に関わったり、

その中で重要人物として立ち振る舞えたり、

最先端プロジェクトの中で自分の知見や人脈を広げることができたり、

会社の資産(ブランド、お金、人材)を活用して

自分がやりたいと思えることを実現したり…


つまり、

『自分という個人の能力を、会社の看板を使って拡張できること』

が、サラリーマンとしての働きがいではないかと私は感じます。





働きがいを阻害するサラリーマンの構想的課題




一方、サラリーマン組織には「階層と評価」という制度があります。


組織は、上席や組織から評価されることで働きやすくなりますが、

逆に良い評価を受けられないと、働きづらくなる構造になってます。


また、誰かの役に立ち評価されることは、仕事の原則ではあるものの、

その評価者が直接的な顧客でないことが多く、


時には仕事っぷりを見ている上席は評価しているのに、

組織の都合が評価よりも優先されることもあり

『何が正解かわからない(何のために働いているかがわからない)』

という状況が生まれ、それは職責が上がるほどに増えていきます。


加えて、個人の成果に(あまり)連動しない報酬制度や、

価値観の違いを価値とせず異端と扱いがちな小役人的文化により、

個人の個性に合わせた成長を阻害し、全体で無能になろうとするかのような

コスプレ的盲目を感じさせる面も、あったりなかったりします。


つまり、

働きがいに対して、サラリーマン組織は

『最初は楽しいけど、そのうちつまらなくなっていく可能性が高い』

という構造的課題を抱えているんじゃないかと、私は考えます。





経営者としての働きがい





経営者としての働きがいは、何を差し置いても働き方の自由度にあると私は考えます。


朝・何時に始めても良い、夜・何時まで働いても良い、

平日に休んでも、休日に働いても、

自宅で仕事をしても、海で仕事をしても、車で仕事をしても、

誰にも非難されることはありません。


…出すべき成果を出していれば、です。



加えて『誰の何に役立っているのか』ということに手触り感があることや、

自分の仕事とその成果に対する解像度の高さとそれによる成長実感が、

仕事へのモチベーションになっている面もあります。


もちろん、経営者になっても、

地味な係数管理や資料作成は減らない(むしろ増える)のですが、

それも自分で選んだ仕事である分、納得してやることができます。


つまり、

経営者としての働きがいは『自由とわかりやすさ』にある

と私は感じます。





働きがいを阻害する経営者の構造的課題




一方、経営者にとっての最大の課題は、稼ぎを考え続けるストレスです。


もっと平たく言えば、

どれだけ頑張り、どれだけ成果を出そうとも、それが稼ぎにつながらなければ、

現実的に死ぬリスクがあるということです。


実際、稼ぎを作れずに、また、その状況を続けるプレッシャーに耐えきれず、

経営者の道を諦める方も多くいらっしゃいます。

私もいつそうなるか・・(汗)


また、「今日・明日のお金には困ってません」という状況になったとしても、

常に『正解のない問いに立ち向かう』ことや、

『そもそも正解がない問いを自ら設定すること』が経営者に必要であり、

それも相当なストレスです。


つまり、

経営者は『自由であるが故に、(お金と)正解がない世界で戦い続ける』

というストレス常に抱えていると感じています。


とはいえ、それが私の働きがいを下げているかというと、そんな風には思えないんです。




働きがいは必要か




ここまで述べておいてなんですが、

そもそも、働くことに対して働きがいが必要なのかというと、

必要な人と必要ない人がいるんじゃないかと思います。


かつて、人口の90%が農民だった時代、

その農民たちが農業に働きがいを持っていたかというと、

持っていなかったように想像します。


それをやるべきだから・やらないと死ぬから、

農民をやっていたという生存本能に近いことではないでしょうか。



そういう意味では、経営者としての働き方は、かつての農民に近いと感じます。


繰り返しになって恐縮ですが、

経営者は課題を見つけ、成果を出し、顧客から評価を受け、

稼ぎに繋げないと死ぬんです。


つまり・・


|まとめ|


働くということを、生活の糧を得るための労働だと仮定した場合、


サラリーマンは『つまらなくなっていく構造なので、働きがいという概念が必要』

であり、


経営者は『生存本能で働いているので、働きがいとか言ってる場合じゃない』

ということが、違いであって、


経営者になったら働きがいが爆上がりする、ということでは無い。


・・ということに思い至るわけですが、どうでしょうか。





最後に:働きがいと生きがいの相似形




前回の記事でも書きましたが、

『生き甲斐という概念が、生きる幸せを感じるためにあるのであれば、

それを考えない方が幸せを感じられるんじゃないか、と思った』のと同じように、


働くにあたっても『働きがいを考えなくてもいい環境にすることが、

結果として幸せに働くことになるのではないか』が、今回の結論です。


つまり、我々のような経営者は

『自らが働くにあたって働きがいが必要だ』

という知覚がない環世界に生きているから、

逆に幸せに働けている、ということではないかと。


どうでしょう。違いますかね。

お金を追えば追うほど、貧乏になるみたいな。

違うか。。



なお、蛇足として一言付け加えますと、

経営者を経験すると、サラリーマンをもっと上手に、働きがいを持ってやれるような気がします。


なんてったって、


・上司や組織の評価には1ミリも心を動かされません。(良し悪しあります)

・組織のルールを守ることはできます。(作る側にいるので)

・顧客に向き合い稼ぎを作ることができます。(それが経営者の仕事です)


どうです。いいと思いませんか?


どこかに酔狂な方がいらっしゃれば、私のことを雇ってみてはいかがでしょう?


意外と真面目に働くので『雇いがい』があると思いますよ。ぜひどうぞ。



それでは、また。









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