こんにちは、元気?
30年前、10代だったわたしから
今日、10代の君に手紙を書いてる。
なんでかな?
そうしないといけない気持ちになった。
たぶん、かつて10代だったわたしが
今のわたしに そうさせているのかもしれない。
ティーンエイジャーの君、もしくは30年前のわたしへ。

ところでさ、最近どう?
毎日、どんなふうに感じてる?
ここんとこ、どんなものにハマってるの?
わたし達 大人はみんな
君のこと知りたいって
そう 思ってるんだけど
君と同じように、もしくはそれ以上に
大人の方も 不器用だったりして
「嫌われたくないな〜」
「どう扱っていいかわかんない…」
なんて
実は、心の中で緊張してたりする。
ほんとは
ただ 友達になりたいだけ。
もし君に してあげられることがあったらしたいだけ。
(ちょっとばかし長く生きてるから、おせっかい)
それだけなんだけどね。
偉そうに大人のフリしてるけど、あの頃は。

最初に 少しだけ
昔話させてくれるかな。
わたしが10代だった頃
暗くて オタクで
そのくせ 臆病ゆえにガリ勉で
心許せる友達もいなかった。
スマホなんてない時代だったから
休憩時間は図書室に避難したり
クラスの喧騒を背後に一人英単語帳見つめては
「このバカバカしい世界から抜け出したい」
「親も学校も社会も、みんなクソだ」
なんて 心の中で毒付いてた。
だけど 今考えると
そんな自分を
ただ受け入れてくれる誰かを探してた気もする。
憤りや怒りは、
寂しさからくるものだったのかもね。
一人だけど、孤独じゃなかった理由。

でもね
そんな可愛げのないわたしにも
「夢中なこと」があった。
それはね、音楽。
Gunsとか、Skid Rowとか、Megadethとか
ハードロックやヘヴィメタル、
轟音を耳に流し込んで、毎日を凌いでたなあ。
クラスの女子には全く理解されないけど
同じ趣味を持つ男子数人と友達になれた。
ネットもiTuneもない時代だから
深夜のラジオを一生懸命カセットテープに録音して
編集してダビングして交換したり。
あとはね、言葉。
本を読むこと、そして書くこと。
オタクなファンタジー小説から古典の名作まで
とにかくいろんな本を読んだなあ。
いろんな時代、いろんな世界の、いろんな人生。
本を読んでいる時間だけは
主人公と一緒に旅をするように、その世界の中にいた。
ゴメン、昔話が長くなっちゃった。。。
そんなわけで
誰にも心を開けなかった10代だったけど
それでも、生きてこれたのは
そんな 大好きなもの達があったから。
「生きがい」ってやつだったのかな。
「生きる意味」。
だから、一人だったけど、
決して孤独ではなかった。
君にも、大好きなもの、きっとあるよね。
漫画でも、ゲームでも、YouTubeでも、なんでもいい。
日本の漫画は世界に誇るべきものだし
ゲームもYouTubeも今やクリエイティブのてっぺん。
だけど、大人たち、特に親や先生たちは、
「そんなくだらないことしてないで、勉強しなさい」
なんて言うかもしれない。
まあ、彼らにも一理ないことはないんだけど。(笑)
学歴ってやつは、
まだまだ現代社会で有効だったりするし
それを信じて生きてる大人からしたら、
とても大事なことだから。
「幸せになってほしい」って気持ちが
「勉強しなさい」って言葉に変換されてしまうのかも。
まあ、「勉強」も、ある程度は大事。
でも、もっと大事なのは、君が「夢中になれること」。
お願いがある。誰にも、君を邪魔させないで。

また少しだけ、わたしの話に戻っちゃうけど
君と同じ10代の頃、
たくさん本を読んだ。
たくさんの曲を聴いた。
そうすると、
自分でも物語や詩を描きたくなってきて
誰に見せるわけでもなく
とにかく描いてた。
スポーツや恋愛で発散すべきエネルギーの全てを
読むこと、書くこと、そして爆音を聴くこと
そんな日々に費やしてた。
我ながら、暗い青春!
でもね
この暗黒の数年間が、今のわたしに繋がってる。
20代半ばでコピーライターになって
言葉の仕事をするようになった。
20代後半、憧れていたアメリカに渡って
ハードロックの聖地(笑)LAで暮らした。
カナダに移住した今も
フリーランスで言葉の仕事をしたり
絵本や物語、詩なんか書いて生きてる。
それにね
こんがらがって鬱屈したあの時のエネルギーこそが
大人になってから壁にぶつかった時
それを乗り越える(もしくはぶち破る)ための
「原動力」になってたりする。
あの時は、想像もしなかったけど
今の自分は、あの時の自分のおかげって思ってるよ。
だからね お願いがある。
君に もし夢中なものがあったら
それを 誰にも 邪魔させないで。
もしも 親や先生に否定されても
必ず 応援してくれる誰かがいる。
(少なくともわたしはその一人でいたいと思ってる)
だから 諦めないで
君が夢中なものに、夢中でい続けて。
君は、誰かの「生きがい」だから。

それとね
これだけは覚えておいて。
君は、おとうさん おかあさんの 「宝物」。
地域の 社会の 世界の 「生きがい」。
誰かの「生きる理由」なんだよ。
そう思えなかったとしても、
「そう」なんだよ。
実のところ、ワレワレ大人も
いくら歳をとったって、不器用で
失敗しながら、反省しながらやってる。
「どうやったら君に 子ども達に
笑顔で 幸せに 生きてもらえる?」
「そんな社会を 世界を
どうやってつくれる?」
悩んだり、迷ったり、転んだりしてる。
だって 君は
この世界の 「未来」そのものだから。
どんな子どもだって
この世界の 「希望」そのものだから。
大人はみんな 誰だって
子どもたちの幸せを願ってる。
そう願わない大人は いないんだよ。
(まあ だからこそ(?)
「宿題しろ」とか「ゲームしすぎ」とか
うるさかったりもするよね、ほんとゴメン!)
死ぬ前に、伝えておきたいこと。

わたし達 大人は
君たちより先にこの世界からいなくなる。
それは、明日かもしれないし、50年後かもしれない。
だからその前に
伝えておきたいことがある。
愛してるよ。
生きて。幸せでいて。
最高に、君らしく。
君が、幸せに生きるために。
そのために、できることがあるなら
なんだってする。
それが、
わたし達の生きがい。
わたし達の生きる理由。
そうやって
太古の昔から 今日まで
君も わたしも 誰もが
命懸けで 生かされて ここにいる。

どんな大人もみんな、「元・子ども」。
お父さんの、お母さんの、
おじいちゃんの、おばあちゃんの、
そのまたずうっと昔、むかしのご先祖さまの、
愛がなかったら、君もわたしも、ここにいない。
「愛」なんて言うと
「ウザったい」って思うかもしれないけど
戦争も、天災も、貧困も、病気も、
あらゆる時代、あらゆる困難から、
命懸けで守られてきた 命の最先端、
それが、君 だから。

「何言ってんだ」って顔してるよね。
うん、10代の頃のわたしも、
きっと同じ顔してると思う。
今はまだ、よくわかんなくてもいい。
ただ
「わたし(達)は、ここにいるよ」
「君(達)は、ここにいていいんだよ」
それだけ
知っておいてくれたら
今日、この手紙を書いてよかったと思える。
それじゃ、またね。
今日のわたしから もしくは
30年後の君から 愛を込めて。
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