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執筆者の写真ふなと 愛

生きがい看取り〜死を受け入れて生きると見えてくるもの。

更新日:1月3日


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子どもの頃、“死” が怖かった。

「死んだら、どうなるんだろう」…

“わたし” という存在が、どこへいってしまうのか。

考え始めると、

深い闇の底へと沈んでしまうような感覚がした。

怖かったのは、“わたしの死” だけではなく

“母の死” もまた、圧倒的な恐怖の対象だった。

特に幼い頃は、それを象徴するように

母が死んでしまう夢をよく見た。

泣き叫んで目が覚めると

隣で寝ていた母が「大丈夫、夢や夢や」、と

背中をさすってくれたことを、今も覚えている。

そんな母を10年前に看取り、

母が亡くなった後の10年を一人生きた父を看取り、

さらには、もう40年も前

10歳になる直前で兄が亡くなる瞬間を目の当たりにして

想うことは、

「人は、必ず死ぬ」ということ。

だからこそ、

「生きることが、輝く」ということ。




セピア色の家族写真



わたし達は、日々の忙しさに追われる中で、

「死」という現実から目を背けがちです。

だけど、「人は、いつか死ぬ」という不変の事実は、

どれだけ無視しようとしても、

誰もが、必ず、向き合わなければならないこと。


死を

「背後から付きまとう恐怖の対象」として

忌み、避け続けるのか。

それとも

「命の本質を明かしてくれる鍵」として

目を凝らし、受け入れるのか。

どちらを選ぶかによって

わたし達の日々の感じ方、人生の捉え方は大きく変わってきます。

“死”を意識することは

“生きること” の意味を深く問い直すこと。

今回のコラムでは、

“死を意識すること”が 、どのようにわたし達の生きがいを明確にし、

充実した人生に導くのかを探ります。




1. 生きがい 看取り ~死を意識することで浮かび上がる命の輝き


境界に佇む男性

「死とは何か」という問いは、

「生きるとは何か」という問いと同じように

わたし達にとって、最も根源的なもの。

特に、“看取り” は、

この問いを深く考える機会ではないでしょうか。

“看取り”とは、大切な人が最期を迎えるその瞬間に寄り添い、

その生を、最後の瞬間まで共に見守ること。

この過程で、“看取る人” は “看取られる人” と共に

死を迎える人の人生を振り返り、分かち合います。


今まで、どのように生き、誰に どれほど影響を与え、

どのような愛や絆を築いてきたか…

一生分の過去を振り返りながら

残された日々の中で、最大限に愛と感謝を交わし合う。

死が目前に迫っているからこそ

「今、この人と過ごすこの時間」が

どんな瞬間よりも、輝きを放ちます。


人は、いつか、大切な人を看取ります。

そして、いつか、大切な人に看取られます。

その瞬間まで、“今ここ” を、どう生きるか。

“看取り” の時間は、

大切な人と紡ぎあった愛や絆、

それらが織りなす “人生の意味=生きがい” を

浮き彫りにしてくれるのです。



2. 看取りの文化とその独自性


年老いた女性の手を握る

「看取り」とは、単なる医療的なケアや形式的な対応ではなく、

愛情や感謝、別れの悲しみといった多くの感情が込められています。

驚くべきことに、

「看取り」という概念を他の国と言語で表そうとすると、

完全に同じニュアンスを持つ一語が見つからないのです。

例えば、英語では

"end-of-life care" や "dying with dignity" という表現がありますが、

これらは主に医療や倫理の側面を指し、

看取りが持つ家族的・情緒的なつながりまでは含まれていないようです。

フランス語では

"accompagnement de fin de vie"(人生の終わりへの伴走)、

ドイツ語では "Sterbebegleitung"(死の付き添い)という言葉がありますが、

これらもまた文化的背景が異なり、

日本の「看取り」が持つ独特の親密さや情感をそのまま表すものではありません。


命の尊さを分かち合い、最後の時間をともに過ごすことで、

亡くなる人に寄り添いながら、

自分自身も人生を深く感じる特別な時間「看取り」。

「看取り」という言葉は、「生きがい」と同じように

日本文化を深く映し出す独特な概念なのかもしれません。


3. 看取りの背景にある日本の“死生観”


苔むした地面のお地蔵さん

日本において「看取り」が特別な意味を持つ理由は、

家族や共同体の結びつきを重んじる文化だけでなく、

“独自の死生観” にあります。

仏教や神道、アミニズムが日常に根付いている日本では、

死が単なる“終わり” ではなく、

“次の段階への移行” と捉えられることがあります。

“肉体” としてのその人の命は“終わり” を迎えるけれど

“魂” としては、生き続ける。

亡くなった人にはもう触れられないけれど

その魂は、お墓や仏壇の中にだけあるのではなく、

木々や花、空や風、星々の中に、

そして、わたし達一人一人の命の中に、ある。

共に、生きている。

途切れずにずっと、続いていく。

そんな感覚を持っているからこそ、

わたし達が「生きがい」について考える時、

それは、「わたしの生きがい」であると同時に

「わたし達の生きがい」でもあることに気付かされるのではないでしょうか。


最後に〜 なぜ今、「看取り」の価値を再発見するべきか


老人と赤ちゃんが手を繋ぐ


現代では、医療技術の発展や生活様式の変化により、

自宅で家族を直接看取る機会が減少しているとも言われます。

一方で、「看取り」という概念の大切さは年々見直され、

特に2000年前後から、高齢化問題で在宅医療やホスピスの普及が進み、

死にゆく人を心身ともに支える専門職「看取り士」の重要性も高まっています。

「看取り」を経験することは、生と死の境界を考え直し、

「生きがい」を新たに発見するきっかけにもなるのです。

今月、初のお披露目となった対話会×ワークショップ

まさに「命」「死と生」と向き合う時間でした。

「あなたは、死にます。

 いつか、は分かりません。

 そのとき、なにを思い、どんな気持ちで迎えたいですか?」


そんな、“究極の問い” を前に、

何を感じるか、どんな風景が浮かび上がるか

自分自身と、仲間と、対話するひととき。

いきがいみとりイベントバナー

今回の講座はすでに満席御礼で締め切ってしまいましたが、

次の機会にぜひ、ご参加ください。








「いきがいみとり」。


死を、生の一部として受け入れた時、

あなたの命も、あなたの世界も、

よりいっそう、鮮やかに、豊かになるはずです。







愛を込めて。

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