「人間は、地球の癌だ」
「人間が滅びたほうが、地球のためになる」
環境活動家、もしくは地球の未来を憂える人々は、
わたし達に警鐘を鳴らすために、こう言います。
あらゆる生物の中で、人間だけが、
“母なる地球” を傷つけている。
髪をむしり、爪を剥ぎ、骨の髄まで搾り取っている。
人間以外の生物たちは
生存のために他を殺すことはあれど
生きていくため以上の資源を搾取することなく
自然の循環の中で調和し、共存しているのに…。
例えば、ミツバチが滅んだら、自然は崩壊する。
一方で、もし、人間が滅んだとしたら…?
むしろ、自然は繁栄するだろう。
地球にとって、他の生物にとっては、 人間が絶滅した方がいいのだ、と。
本当に、そうなのでしょうか?
もし、そうだったとしても。
自分の大切な人に
未来を生きる子どもたちに
「お前は、地球の癌だ」
「他の生物の敵なんだ」
「お前も、わたし達も、みんな滅びたほうがいい」
あなたは、そう言えますか?
きっと、 そうは言いたくないはずです。
子ども達にも、自分自身にも。
「それでも、わたし達には“生きる理由”がある」
「それでも、生きろ、最後まで」
そう伝え続けたいと、思うはず。
人間にしか果たせない“役割”とは。
では、それでも人間が“生きる理由”、つまり
人間だけが果たせる“役割”とは何なのでしょうか?
それは、“目撃”すること
ではないかと、思うのです。
確かに、人間だけが
環境を破壊し、互いに殺し合い、
目を覆うような、多くの過ちを犯し続けている。
だけど、
その罪や過ちを “目撃する” ことができるのもまた、
人間だけ。
自らの、人間全体の、過ちを“目撃”し
その愚かさを悔い、罪を贖うために、変容しようとする力。
闇から立ち上がり、再び光に向かって歩きだそうとする力。
その力の中にこそ、
人間が、人間である所以があるのではないのかと。
宇宙の視点から、眺めてみる。
さらに、大気圏の外へと視点を羽ばたかせて 宇宙の誕生に想いを馳せてみましょう。
宇宙はもともと、
空=「無限の可能性を孕みながら何も存在しなかった状態」でした。
そこからビッグバンが起こり、
あらゆる銀河や星々、そして地球が生まれた。
気が遠くなるほど長い宇宙の歴史の中で
人類が誕生したのは、“ほんの最近”のこと。
宇宙にとっては“一瞬”でしかない 人類の歴史の中で
人間は、殺し合い、傷つけ合い、奪い合い、破壊し続けてきた。
同時に、愛し合い、助け合い、分け合い、創造し続けてきた。
そのはざまで
「人間は、どう在るべきか」
「わたしは、どう生きるべきか」
悩み、苦しみ、葛藤しながらも
人類が模索し続けてきたという事実は
哲学、宗教、文学、アート…
世界中で、時を超えて継承されてきた
あらゆる作品や叡智が、証明してくれている。
闇と光、両極の事象を生み出し、“目撃”しながら、
そのすべての過程を
自らの“母体”である宇宙に捧げている。
もともとは
“何もないけれど、全ての可能性がある”
「空」であったはずの存在が
あらゆる喜び、あらゆる調和を 顕し
あらゆる苦しみ あらゆる残虐を 生み出し
しかし 決して
そこにとどまることなく
苦しみを、喜びに
愚かさを、賢さに
変容させていこうとする作用を
母なる宇宙に、奉納している。
そんな風に、感じられないでしょうか?
ペイル・ブルー・ドット。宇宙から見たらすべては。
Credit:NASA
これ、なんの写真だと思いますか?
空の画像の切れ端?
撮影に失敗した画像?
そんな風に思う人もいるかもしれません。
ですが、画面の中心、縦に伸びる光の帯の上に、
小さな青白い点があるのが見えるでしょうか。
単なる埃か、レンズに写り込んだ傷に見間違えてしまいそうなほどの
小さな、小さな、たった1ピクセルの点です。
実はこの写真、
1990年、宇宙探査機ボイジャー1号が
約60億km離れた場所から撮影した、地球の画像。
ボイジャー1号が打ち上げられたのは、1977年。
当時まだ謎が多かった 木星と土星の観測を行うために
太陽系圏外へ向かって、旅に出ました。
ボイジャー1号に課せられたもう一つのミッションは
「太陽系の外の宇宙へ地球からのメッセージを届けること」。
「ゴールデンレコード」と呼ばれる金メッキを施された銅製のレコードには
115枚の画像、波、風、雷、鳥や鯨など動物の鳴き声など、
多くの自然音のほか、様々な文化や時代の音楽、
55種類の言語のあいさつが収められました。
Credit:NASA
このゴールデンレコードの指揮をしたのが、
アメリカの科学者、カール・セーガンです。
天文学者でもある彼は
「わたし達は星々の材料からできている」という視点を持ちながら
数多くの宇宙探査のプロジェクトに関わり、
また、
科学の面白さをテレビ番組や小説を通して大衆に伝えるだけではなく
核戦争や環境破壊などにも警鐘を鳴らし、
“人類の未来”について、深く説き続けてきました。
ボイジャー1号が、惑星探査のミッションを無事に終えた後、
カール・セーガンはある提案をしました。
「振り返って、地球の画像を撮影しよう」。
彼の提案には、多くの懸念の声が上がりました。
宇宙空間の中で探査機の方向を変えることへのリスク。
たとえ数十億kmも離れた場所から地球を撮影できたとしても、
それに一体、どんな科学的なメリットがあるのか…。
そんな反論にも関わらず、
1990年、打ち上げられてから12年の旅を経てきたボイジャー1号は
地球からおよそ60億km離れた太陽系の端から、
地球に向かって、シャッターを切ったのです。
それが、先ほど紹介した小さな、青白い一点。
カール・セーガンはこれを
「ペイル・ブルー・ドット(Pale Blue Dot)」と呼び、
以下のように語っています。 ※要約してお届けします。
From this distant vantage point, the Earth might not seem of any particular interest. この遠く離れた場所から地球を見ると、あまり興味深い場所には見えない。 But for us, it’s different. しかし、私たちにとっては違う。 That’s here, that’s home, that’s us. あれはここ、あれは故郷、あれはわたし達だ。 On it everyone you love, everyone you know, ここに、あなたが愛する人、あなたが知っている人、 everyone you ever heard of, every human being who ever was, lived out their lives. 今まで聞いたことがある全ての人類、歴史上のすべての人がそこで生きてきた。 The aggregate of our joy and suffering, わたし達の喜びと苦しみのすべて、 thousands of confident religions, ideologies, and economic doctrines, 何千もの自信に満ちた宗教、イデオロギー、経済主義、 every hunter and forager, every hero and coward, すべての狩猟者や採集者、すべての英雄や臆病者、 every creator and destroyer of civilization, すべての文明の創造者と破壊者、 every king and peasant, every young couple in love, every mother and father,王様と農民、愛する若いカップル、すべての母親と父親、 hopeful child, inventor and explorer, 希望に満ちた子ども達、発明家と冒険家も、 every teacher of morals, every corrupt politician, 道徳の教師、腐敗した政治家、 every “superstar,” every “supreme leader,” すべての「スーパースター」や「最高指導者」、 every saint and sinner in the history of our species lived there そしてわたし達人類の歴史におけるすべての聖人や罪人が、ここに住んでいたー —on the mote of dust suspended in a sunbeam. —すべてが、この太陽の光線に浮かぶ、一粒の塵の上に。 — Carl Sagan, Pale Blue Dot, 1994
セーガンは続けます。
想像してみてほしい。 地球という、広大な宇宙の中の、小さな小さなステージで、 どれだけの将軍や皇帝が、繁栄と勝利のために この小さな点の一部の、束の間の支配者となるために どれほどの血の川を流してきたか。 この1ピクセルの片隅に住む住人が、 隣の片隅の住人に行った終わりのない残虐行為を。 どれほどの誤解が生まれ、 どれほど簡単に互いを殺し合い、 どれほど激しい憎しみを持つことか。 虚勢、思い込みや自惚れ、 自分達こそが、宇宙の中で何か特別な存在なんだという錯覚、 この淡い光の一点が、それらに対して挑戦する。 わたし達の地球は、 広大な宇宙の闇に包まれた孤独な一点に過ぎない。 この広い宇宙の中で、 わたし達を救うためにどこか他から助けが来るという兆しは、全くない。 地球は、今の所生命が存在していることが知られている唯一の世界だ。 少なくとも近い将来、わたし達が他に移住できる場所は他にない。 好きであろうとなかろうと、今の所わたし達が立つ場所は地球なのだ。 わたし達は、もっと互いを尊重し、互いに真心を持ち、 そして、この小さな青い一点を、大切にしていく必要がある。 わたし達が知る、たった一つの故郷を。 — Carl Sagan, Pale Blue Dot, 1994
それでも、人類は地球の癌なのか。
人間が、長い歴史を通して
自然を搾取し、生物を駆逐し、
自らを含む生態系を“破壊”してきたのは確かです。
物質的な視点から見れば、
人類は地球にとって「癌」であるかもしれない。
だけど、 もっと大きな宇宙の視点から見れば、
人間は、過ちを犯しながらも、
自らの罪を “目撃”し、悔い改め、
「より良く生きよう」とする存在でもあります。
人間の本質にあるのは
“愛と調和”だけでなく
“苦しみから立ち上がる力”。
「それでもなお、生きる」
その“力”こそが、
“地球の進化”に関わる、重要な鍵なのではないでしょうか。
もちろん、
だからといって
無責任に行動して良いわけではありません。
わたし達一人ひとりが、
まず自らの行動を見つめ直し、
世界で何が起きているかを捉えながら、
生き方・あり方を模索していくこと。
“癌細胞”を見つめる顕微鏡の視点と、
はるか彼方から宇宙全体を眺めるボイジャー1号の視点。
その両方を行き来しながら、
今この瞬間、どんな行動を選び取っていくか。
それは、わたし達自身の選択に委ねられています。
カール・セーガン自身によるスピーチ。素晴らしいです。
ペイル・ブルー・ドット。
宇宙から見た地球は、小さな小さな点。
その点の上で暮らす、さらに小さなわたし達 人間。
この “たったひとつの故郷”で
あなたは今日、どう生きますか?
愛を込めて。
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